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私はいかにしてプロデューサーになったのか(第3回)

「フロムさんの大きなお世話~プロデューサー逍遥記」がラジオ部門で3位を2日キープしました。
皆さんのおかげ、とりわけ駄文にゅうすさんのおかげです。
ありがとうございました。

さて、「私はいかにしてプロデューサーになったのか」の第3回目です。
FM大阪電通担当のH君にいささか挑発されながら、私は東芝に提案できる企画を考えることになります。

■バンドスタンドの代わりを探せ?

当時、FM大阪は開局したばかりの802の攻勢に徒手空拳の状態で、大阪で行われる大晦日の「ロックンロール・バンドスタンド」の中継権もなすすべもなく取られていました。
ずっと東京にいる私には、そのあたりの情報はあまり伝わってこず、実際のところFM802の放送は一度も聞いたことがありませんでした。
大阪のことを心配するより、東京の放送事情を会得するのに必死だったからです。

■802にイベントなどの権利をすべて強奪される

802の攻勢は編成的にも営業的にもすごかったようです。
気持ちはよくわかります。
FM大阪も1970年に誕生した時は、全くのゼロからの出発で、社員も20代が一杯いてその士気は高かったと聞きます。
何しろ、当時の大阪でFM局などと言っても、半分の人には通用しなかったのですから。
「FM大阪ですが~」と営業の電話を入れても、「SM大阪?うちはそんないやらしいもの要らん!」と断られたり、「乳児用のミルクは取り扱っていない」と言われたり。(当時はFMといえば、明治コナミルクFMを指した)
そういう中で、音楽が好き、ラジオが好きという、きわめてハングリーなスタッフが毎日自由に番組を作ったのです。
リスナーをつかめるのは、さほど困難ではなかったでしょう。
その時と同じような世界が802のまわりに生まれたのです。
FM大阪を駆逐することぐらい、比較的簡単だったのではないかと推測されます。

■意地でもやってやる

というわけで、大阪の音楽ファン、ラジオファンは若い層を中心になだれを打ってFM802に傾いていきました。
電器店のステレオ売り場もラジカセ売り場も、ほとんどのチューナーが802に合わされていました。
もはやFMといえば802、FM大阪は東京の放送を流す共感できないネット局みたいな扱いではなかったでしょうか。
若い層が802を支持するなら、音楽業界も当然802支持。
ビッグアーチストのイベントの名義は、ほとんど802に移ったといっても過言ではなかったでしょう。
言い換えればアーチスト側からしても、共感されていたのは802なのです。
ロックンロールバンドスタンド~大阪の中継権を802が得るのは当然といえば当然でした。
そんな中、私に同様のオールナイトライブ生放送を企画しろというのです、しかもその年もまもなく終わろうとしている時にです。
H君の営業的要望というか、偉そうに言うならこれぐらいやれよという挑発なのか。

わかったよ、来週まで待ってくれよ。

そう言って私は椅子のリクライニングを倒し、天井を見つめながら、さてどうしようか、どこから手をつけようかと考え始めたわけです。



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100以上の番組、ライブを中心としたイベント、舞台、映画など、専らクリエイティブな世界に身を置いて30年。
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