Entries

番外・上田正樹「悲しい色やね」

昨日、「大阪城・緑の森音楽祭」が、上田正樹の「悲しい色やね」が売れたきっかけと書きました。
それについて、ツイッターに長々と書いたので、それを転載します。
本当にそれが売れるきっかけだったのかどうかは、皆さんの判断にお任せしたいと思います。

さて、今日もブログをアップ。今回は上田正樹「悲しい色やね」のヒットについても書いてます。http://t.co/y4wHG0m4 1983年に関わったイベント「大阪城・緑の森音楽祭」・このイベントが大成功するとともに、一人のアーチストが脚光を浴びます。それが上田正樹さんでした。

posted at 22:04:08

上田正樹さんの「悲しい色やね」は1982年10月のリリース、チャートのベスト10に登場するのは8ヶ月後と紹介されています。そうです、私たちが企画した「緑の森音楽祭」の実施は7ヵ月後。実は、このイベントで上田正樹さんは大トリでこの「悲しい色やね」を歌い、大喝采を受けたのです。

posted at 22:07:26

私はFM大阪の営業担当でした。大阪の三木楽器店さんと組み、協同宣伝という広告代理店と一緒にアマチュアとプロのアーチストによるイベントを企画したのです。三木楽器さんは、バンドのメンバーが店に来てくれることを狙っていました。協同宣伝さんは、若者向けのイベントが珍しかったようです。

posted at 22:11:27

上田正樹さんがゲストの大トリに決まったのは、多分偶然だったと思います。本来アルフィーに頼んでいたのですが、都合が悪くなり、困っている時に、当時のソニーの宣伝マンがキー坊どうですか?今度バナナでライブをやるので是非見に来て下さいと強く推されたのです。そしてPと一緒に見に行きました。

posted at 22:14:17

バナナで見たキー坊は確かに良かったのですが、少し感動したのは「悲しい色やね」でした。この曲、いいなと思いました。よし、緑の森音楽祭はこの曲をメインにしよう。ソニーの宣伝マンに言うと、最初は少し驚かれたようですが、早速東京に報告しますと張り切られていました。

posted at 22:16:55

それから、私はFM大阪で流していたイベント告知の曲を「悲しい色やね」に変えました。20秒だけではなく、30秒、40秒スポットも追加。「ホールミータイト 大阪ベイブルース♪」のサビを常にアップして聞かせました。CM担当に1日30回ぐらい流してと依頼。一日中流れるようになりました。

posted at 22:20:03

これは相当印象に残ったようです。三木楽器の方も、すごいですね、うちのイベントをこんなに宣伝してもらっていいのですか?と訝られたくらいです。いわゆるヘビーローテーション。ま、当時のFM大阪は一押しのアーチストを自発的に集中してオンエアするというのは至極当たり前のことでした。

posted at 22:22:34

FM大阪がヘビーローテーション的にとりあげ大ヒットさせたアーチストとしては、ディックセントニクラウスもいます。これも当時の大阪エピックの宣伝マンが輸入盤で見つけたアーチストを東京に直訴して大阪限定で発売。その意気を評価し、皆でオンエアに努力しました。欲得もなく、いい時代でしたね。

posted at 22:28:19

さて、上田正樹「悲しい色やね」ですが、そういうことでFM大阪で四六時中流れますから、人の耳にもついてきます。あ、キー坊がうとてんのか、ほんだら1回ちゃんと聴いたらなあかんな~有線チャートへも、ソニーの宣伝抜かりはありません。FM大阪でこんなに流れますよ~と情報を流します。

posted at 22:30:59

そして、5/5の大阪城野外音楽堂で行われた「第1回緑の森音楽祭」は大成功でした。集まっている人たちは、その時にはみんなこの曲を知っています。しかも、他にもビッグゲストがいるのに、大トリは上田正樹。「悲しい色やね」でイベントを締めるんだ、そう決めていたからです。

posted at 22:33:19

ある人のブログ「年が明けた1983年の初夏のある日、、突然、風向きが変わったんだよね~。この曲に対しての。まあ、♪ホーミタイト 大阪ベイブルース~ ♪ってあるように、内容はもろ「大阪」だからね。昔から大阪の有線から火がついた曲はヒットするっていうジンクスがあるから」とあります。

posted at 22:35:32

有線で広がったのは事実です。そのきっかけを作ったのが、「緑の森音楽祭」であったこと、明らかですよね。何もないのに、有線でかかるはずありません。それも7ヶ月も遅れて。当日ソニーさんは東京から大勢の記者の方を呼ばれていました。一世一代の大舞台だったんです、キー坊にとっては。

posted at 22:37:43


後半で紹介しているブログは、「かじやんのヒット曲&チャートレビュー」といいます。
同様の趣旨は、ネットでは作曲家の林哲司さんの感想という形で引用されています。
多分、林さんは詳しい事情をご存知なかったのだろうと思います。
なにしろ、売れるとは思わなかった、8ヵ月後にいきなり売れだして驚いたとインタビューで語っておられるぐらいですから。

こちらにも、BSフジでの林哲司さんのインタビューの紹介があります。
ここでも、有線からのヒットという形で書いていますが、イベントをきっかけにして有線で火がついたと訂正して欲しいなと思うのですが、あまり嬉しがりみたいに思われるもの嫌だし。


1983年5月5日「大阪城・緑の森音楽祭」、あの時参加してくれたアマチュアのバンドの皆さん、野外音楽堂に集まってくれた皆さんに、「悲しい色やね」のヒットは、あの時の皆の力で作ったんだよと、今も大きな声で叫びたいというのが本音なんです。
いい曲というのは、そういうストーリーを常に持っている、それが私の実感の一つでもあるんです。


(追記)アマチュアのバンドは10組ぐらい出たのですが、応募されたのは200組ぐらいあったと記憶しています。
心斎橋三木楽器の上にあるホールで、私も審査員になり、多くのアーチストの方を全部聞き、選出したのがこの10組でした。当時は、ちょうどチャゲ&飛鳥が「万里の河」でデビューし大ヒットした後だったので、男のアコースティックデュオが10組以上、エントリー。
みんな「万里の河」を歌っていました。
正直、飽きてしまったというのが事実です。(おかげで彼らは誰一人、イベントに出場できませんでした。)




スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://from3.blog.fc2.com/tb.php/113-7900c4d9

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

四季の花時計

プロフィール

フロムさん

Author:フロムさん


100以上の番組、ライブを中心としたイベント、舞台、映画など、専らクリエイティブな世界に身を置いて30年。
言いたいことは一杯あっても、口に出せないことだらけ。
せめてはその一部でも書き残そうと試しに作ったブログ。
いつまで続くかは皆さん次第。


ツイッターHN :abex795 

アクセスカウンター

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
テレビ・ラジオ
193位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
ラジオ
11位
アクセスランキングを見る>>

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる